クリーシェの笹舟

君に届き、書き手の僕に気がつくことはあるだろうか

無知の知

教員の質の話を最近よく聞く。ニュースやら新聞やらSNSやら。

 

生徒のことを見てるのか、とか、指導方法が正しくないのではないか、とか。このまま行けば教員になる身からすると、ちょっぴり擁護したくなることも少しはある。

 

教育ってのは誰でも触れたことのあるものだから誰でもそれっぽく語れるだけで、お前ら何も勉強してないじゃん、とかね。いうて「専門職」だぞ、とかね。

 

 

見てみろよ俺の知り合いはみんなちゃんと勉強してんだぞ!……うーん。本当はそう言いたいところだったけど。そうは言えないのが残念でならない。

 

教職課程をあらかた修了してきた者が教育実習に行き、免許を得る。だから僕(一人称のブレは割と意識している)は、実習までこぎつけた者はさぞ意識が高く、各々に必要な知識と技術とを身につけて来ているのだと思っていた。

 

でもそんなことはなかった。

 

何も知らない割に熱意だけあるやつ。とりあえず免許取っといて就活ダメなら教員になるか、とか言うやつ。文学だけやっていれば国語が教えられると思っているやつ。

 

僕はたぶん、勉強をしてきた部類だ。そこそこに専門科目と教職の理論を学び、ふつうの学部生よりも実践の場を持った。それでも、知らないことが多すぎて現場に出られないと判断し、大学院への進学を決めた。

 

なのに、僕よりも知識も技術もない者が学部卒で来年には現場で教鞭をとる。この事実に僕は恐ろしいとさえ思う。これじゃあ質の高い教員なんてなかなか生まれないと思う。

 

 

「専門職」なんかじゃない、とさえ言える。現状では。

 

 

 

少し前に教員免許の取得には修士以上(つまり大学院卒業以上)を義務づける、という話があった。よし!それなら確かに専門的な技能を身につけた質の高い教員の育成が期待できるな!

 

と思うじゃん?でも、それも問題がある。

 

大学院に行くには学力と熱意だけでは足らない。悲しきかな、金が必要なのである。

 

義務教育を終え、高校に通わせ、大学に進学させてやり、さらに大学院にまで行かせられる家庭ははたしてこの国の何パーセントあるだろうか。奨学金を借りたとしても大学の学費は安くはない。

 

金持ちの子だけがなれる職業であってはならないと僕は思っている。

 

あと、もう一つ。そんな所まで行く人は勉強が嫌いじゃない。それにたぶん得意だ。

 

もともと「学校が好きなやつしかならない職業」という偏りがあるのに、修士義務化なんてことをしたらそこに拍車をかけることにもなると思う。

そんな人たちに、学校やら勉強が好きじゃない子の気持ちは分からないだろう。

 

 

ここまで来て、どうすればいいのかという問題が全く解決していない。

 

まあ、僕が撃つべきだと思うのは、開放制教員養成制度だ。それでもすべてが解決するわけじゃないけれど。

 

いま日本は開放制とっている。教育学部に入学しなくても、教職課程を追加で履修すれば教員免許が取得できるのである(裏返して言えば、教職課程の履修が卒業の条件になっていない教育学部もある)。この制度のおかげで、教員の資質の多様化がなされてきたという功績もある。

 

でも、この制度があることで教員免許の価値が下がりはしないだろうか。とりあえず取っとくか、ってやつが出てきてしまうのだ。

 

免許の取得を教育学部に限定したならば、そこに入学する者は今よりも意欲的になりはしないだろうか。

 

 

まあ大体そんな感じだ。なんだか疲れたし、読む人もいないだろうからもういいかな。もしも考えることがあったら調べてみてください。

 

それにしても、物を知らないやつほど自信がある(ブーメラン)